NHK R1 アート・オブ・グールド番組の周辺2023/03/04 10:20

 この前の日曜日、いつものように風呂に入って防水ラジオのスイッチを入れると、いつものらじらーサンデーが流れてくると思ったら、クラシックのピアノの音楽が流れてくるではありませんか。
 よくよく聞いてみると2022年グールドの生誕90年・没後40年にあわせて放送した特別番組を編集して再放送したものとのこと。ゲストにヤマザキマリさんと宮澤淳一さんが出ておりました。
 グールドファンではない私にとっては、グールドは変人のピアニストというイメージと、どこかにしまい込んであるLPレコードの演奏家でしかありませんでした。
 この番組(Vol.2)の中でヤマザキマリさんの好きな曲としてあげたのが、シェーンベルクのピアノ協奏曲 op.42 の第4楽章でした。数年前までヤマザキマリさんはテルマエ・ロマエの漫画原作者という認識しかなかったのですが、コロナ禍が始まってラジオを聴く機会が増えたら、ゲストとして何回か呼ばれていた「高橋源一郎の飛ぶ教室」だったり、あるいは不定期に放送されるNHK R1 「ヤマザキマリラジオ」での対談などをつまみ食いのように聞いたりして、ヤマザキマリさんて幅広いことに関心がある方なんだなぁと、認識を改めています。
 またグールドは映画「砂の女」が好きだったとのこと。ここでもヤマザキマリさんは「グールドにとってピアノは砂の粒子のようなものではなかったのか。それ(砂)に完全に拘束され、囚われ、そこからもがいてももがいても脱出できない。...」というようなことを言っていました。こういう考えが言えるなんてすごいなぁ。

 明日(2023年3月5日の午後8時過ぎまでしか聞き逃しがきけませんが、興味を持たれたら聞いてみてください。


 グールドは合唱曲も作曲しています。ググってみれば見つかりますが、楽譜を見ながら音が聞けるYoutubeを紹介します。出版はG.Schimer。

お元気2009/04/08 22:55

今日の朝日新聞の朝刊27面(むさしの面)に、「90歳校長意欲満々」という記事がありました。あれっ、もしかして、この方、おいらが高校生だった時の校長じゃない? お元気なんですね。それに90歳になって、校長を任せられるというように、いくつになっても活躍の場があるということは、すばらしいことですね。ただ、申し訳ないですが、あんまり校長の記憶はないんです。やはり、担任の先生と、クラブの顧問の先生はよ~く覚えていますけどね。元気に頑張っていただきたいですね。<BR>
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 合唱音楽の地平ブログと言いながら、合唱の話題が少ないね。ベトナム出身のトン・タ・ティエさんの合唱曲なんかを紹介したいんだけどな。それはまた別の日にゆずりましょう。<BR>

米は守られる2009/03/24 22:20

今日の朝日新聞の夕刊12面「たまには手紙で」のコーナーは、橋爪功さんと野田秀樹さんの往復書簡の最終回でした。原文は朝日新聞を当たっていただきたいのですが、その中に、野田秀樹さんがある農家から聞いた話として、『母屋は少し前までは茅葺屋根でした。それが屋根を葺く職人がいなくなったために維持できなくなり、ありきたりの屋根に変ってしまった。(中略)「茅葺を葺く人間さえいれば茅葺は守られる」。同様に「米を食う人間がいれば米は守られる」。(中略)言葉もそうですよね。(中略)こういう言葉を使う人間が減ってしまえばその言葉は意味を失う。(中略)ひとたび消えた文化は二度と再現はできない。再び現れる時は、胡散臭い伝統主義や懐古主義としてです。それは「新しい伝統」にすぎません。(後略)』
引用の省略が多くて、きっとわかってもらえないんじゃないかと思ってしまいますので、原文にあたっていただければと思いますが、この記事を読んでトルミスさんの「忘れられし民族」という6つの組曲からなる合唱のシリーズを思ってしまいました。これはフィンランド周辺のもう本当に人が少なくなってしまった民族の言葉による民謡の合唱曲集ですし、もちろんこの曲集はコンポーズされたもので、単純に失われつつある伝統を残そうとして作られたものではないとは思います。トルミスさんというエストニアを代表する作曲家の一人によって、ひろく失われつつある文化が紹介されたということはありますが、しかし、それであっても失われつつある文化はきっと加速度的に失われてしまうことでしょうし、もうすでに完全に死語になってしまっているかもしれません。これは日本にもあることで、アイヌ民族の方たちが一生懸命、言葉や文化を残そうとしていますが、しかし、日常的にその言葉を使ったり、文化に基づいた生活を送らないかぎり、早晩、その文化は失われてしまうことになるのでしょう。これはもしかしたら日本の将来かもしれません。世界のグローバル化が加速度的に進む時代には、ローカルに生きることが非常に難しくなってしまうように思います。でも、「米を食う人間がいれば米は守られる」のなら、米を食っていけばいいのですね。文化を継承するということは、今の時代にはある程度の面倒さが付きまとってしまいますが、それを引き受けることが必要なのでしょう。

英語、それとも日本語?2009/03/16 22:53

朝日新聞東京版のテレビ面(32面)試写室に「語るべき世界こそ必要」という見出しで、某国営放送の「英語でしゃべらナイト」のプレビューが出ていましたが、その記事に「対話は、英語力だけでなく、語るべき知的世界の豊かさが必要と実感。」とあります。現在、英語教育を小学生のうちから行う方向で話がすすんでいますが、この記事にあるように、英語力以前に語るべきものがあることが重要で、そのためには、やはりきちんとした国語力が必要だと思うのです。話に内容があれば、へたくそな英語でも聞いてくれると思いますし、簡単な会話ならボディーランゲージだってOKなのではないかな。「英語でしゃべらナイト」の番組がどうのこうのというのではなく、英語教育より国語教育が先なのではと考えた記事でした。<BR>

選曲は大変だ2009/03/10 23:15

昨年12月、高校時代に一緒に歌っていた友人(彼は現在でも歌っているし、指揮もしている)から、今度女声合唱団の面倒を見ることになったので、次回のコンサートになにか良さげな曲を教えてっていうメールが入っていた。「んなぁ、選曲は大変なんだぞ~」とか悪態をつきながら、久しぶりに女声合唱曲を聴きなおしたりして、ちょっと考えてみました。
選曲ということに関しては、有名な合唱指揮者の栗山文昭さんが、たしかハーモニーに「選曲とは千の曲から1曲を選び出すこと」みたいなことを書かれていて、非常に納得した記憶があります。友人の指揮者は男声や混声はレパートリーを持っているけど、女声は初めてということで、本人も楽譜やCDを買ったりしていろいろと聞いているようだけどね。やっぱ日頃の勉強が大切なんだろうなぁ。栗山さんは、まだお若い頃(オルフェオンとミニヨンとプリエールが合併する前)から選曲の幅の広さにはちょっと感心していたんですけどねぇ。やはり非常に勉強しているんだろうな。
さて話を戻すことにして、選曲はもちろんいい曲を推薦してあげたいけど、自分の趣味も入っちゃうし、合唱団の制約(人数とか技術など)とかもありますよね。今回の合唱団は40代の女性8人からなる合唱団で、声楽が専門ではないけど、専門的な音楽教育を受けた人がほとんどということ。わっ、8人じゃパート分割がある曲はだめだなぁ。第1回目の演奏会をこの前の秋に催したが、その直前に指導していた別の指揮者が体調的な面から続けられなくなって、紹介されたそうだ。1回目の演奏会のプログラミングもその前の指揮者のものとのこと。演奏会のテープを送ってもらったので、聞きましたよ。もちろん粗を探せばいくらでもあるけど、8人でしっかり歌っている。そのプログラムを参考までに載せましょう。(作曲者の敬称略)

オープニング ほほえみ(信長貴富)
第1部
In the merry month of may (Youll)
Ave verum corpus (Mozart)
Ave verum corpus (Poulenc)
Edesanyamhoz (Kodaly)
Egyetem, Begyetem (Kodaly)
第2部
童神~天の子守唄~ (佐原一哉)
てぃんさぐぬ花 (瑞慶覧尚子 編)
天満の市は (間宮芳生 編)
さんさい踊り (間宮芳生 編)
第3部
ナウシカ・レクイエム (久石譲)
テルーの唄 (谷山浩子)
Memory ~Catsから (Webber)
道化師のソネット (さだまさし)
第4部
ゆめ売り (松下耕)
わたしと小鳥とすずと (松下耕)
あいたくて (松下耕)
蟻の夏 (松下耕)

8人しかいないという制約の中で、なかなかセンスのいい選曲だなぁ。

さて、それで何を推薦したか、それはまた次に。 <続く>

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仕事を終わってから先週の火曜日に抜いた歯の治療。抜いたところをブリッジにするため、奥側のとなりの歯(金属がかぶせてある)のかぶせてあった金属を取り、仮の歯を付ける。抜いたところはまだ歯茎が上がってきていないので、もう少し様子をみるとのこと。歯がないと口の中が気になりますねぇ。歯は大切にしましょう!