一日一生2009/03/22 21:45

 本日の朝日新聞14面(読書面)の「売れている本」に紹介されていた「一日一生」(酒井雄也著)の紹介記事で、

(前略)でも、どんなひどい目にあっても、あとでいろんなことがあったななと思える時がくるという、「人生はその時だけじゃないんだって」。(後略)

 とありました。そうだよねぇ。自分に置き換えたって、確かにその場面で立ち往生していた時は「もうどうにもならない」と思っていても、確かに今考えれば「あの時は大変だったなァ」なんて気楽に思えたりして。紹介記事によると「著者は地球1周分を歩くなどする修業、千日回峰行を成し遂げている。この荒行を2度したのは400年でわずか3人、著者はその一人。」とのこと。読んでみようかなぁ。<BR>

風になりたい2009/03/23 23:02

パナムジカさんの新刊案内の中に、平成17年度のNHK全国学校音楽コンクール高等学校の部課題曲であった、「風になりたい」(寺嶋陸也さん作曲)に、新たに3曲を加えて組曲とした楽譜が出版されたとの案内がありました。その案内の文を引用します。

*****ここから
 当初高校の課題曲としては平易すぎるのでは?との声も聞かれた「風になりたい」ですが、実際に演奏してみるとその表現の難しさに悩んだ方も多いことと思います。今回追加された3曲も同様に劇的な表現を避け、和声の変化によって深い叙情性が醸し出そうというもので、技術的には中学生から取り組める難易度ながら、より繊細な表現力が求められる作品と言えるでしょう。
「合唱の良さや醍醐味は大声や均質な声にはないと私は信じていますし、合唱が単なるレクリエーションではく芸術として成立するためには、言葉の奥に分け入ってより深い表現を追及することが不可欠だとも思っています。」。」(作曲者まえがきより)
*****ここまで

 この文を読んでやはりコンクールっていうやつは難曲をやらなきゃ技術点がもらえないんだろう、だから多くの団体は難しい曲をやるんだよね、なんて思ったんですが、この「風になりたい」はそういった風潮に一石を投じる意味で大切な曲だと思いましたね。最近のNHKの課題曲って昔と違って課題曲も難しくなっていると思うんですよ。ところが、この「風になりたい」を最初に聞いた時に、「これが課題曲?」って思っちゃったくらいでしたから。
 ところで作者前書きで「合唱の良さは均質な声にはない」というくだりがありますが、多くの合唱団は均質な声を目指して練習をしていることだと思います。それが、実はこの曲の目指すところではないということが大切だと思うのです。しかし、合唱で均質な声を目指さずに豊かな表現を作り出すとは、どういうことなのか、いまだに自分にはわからないですね。
 寺嶋陸也さんの曲は、曲に過度にのめり込ませないというか、感動を強要しないところがあるように感じています。だから結構な量の合唱曲を書いていますし、いい曲が多いと思うんですけど、大ヒットにならないですねぇ。大受けするような作りにしないからね。そこがいいところなんだと思うけど。ところでまだ緋国民楽派ってあるんですよねぇ。(最近の音楽シーンになんとも疎いのだ)<BR>

米は守られる2009/03/24 22:20

今日の朝日新聞の夕刊12面「たまには手紙で」のコーナーは、橋爪功さんと野田秀樹さんの往復書簡の最終回でした。原文は朝日新聞を当たっていただきたいのですが、その中に、野田秀樹さんがある農家から聞いた話として、『母屋は少し前までは茅葺屋根でした。それが屋根を葺く職人がいなくなったために維持できなくなり、ありきたりの屋根に変ってしまった。(中略)「茅葺を葺く人間さえいれば茅葺は守られる」。同様に「米を食う人間がいれば米は守られる」。(中略)言葉もそうですよね。(中略)こういう言葉を使う人間が減ってしまえばその言葉は意味を失う。(中略)ひとたび消えた文化は二度と再現はできない。再び現れる時は、胡散臭い伝統主義や懐古主義としてです。それは「新しい伝統」にすぎません。(後略)』
引用の省略が多くて、きっとわかってもらえないんじゃないかと思ってしまいますので、原文にあたっていただければと思いますが、この記事を読んでトルミスさんの「忘れられし民族」という6つの組曲からなる合唱のシリーズを思ってしまいました。これはフィンランド周辺のもう本当に人が少なくなってしまった民族の言葉による民謡の合唱曲集ですし、もちろんこの曲集はコンポーズされたもので、単純に失われつつある伝統を残そうとして作られたものではないとは思います。トルミスさんというエストニアを代表する作曲家の一人によって、ひろく失われつつある文化が紹介されたということはありますが、しかし、それであっても失われつつある文化はきっと加速度的に失われてしまうことでしょうし、もうすでに完全に死語になってしまっているかもしれません。これは日本にもあることで、アイヌ民族の方たちが一生懸命、言葉や文化を残そうとしていますが、しかし、日常的にその言葉を使ったり、文化に基づいた生活を送らないかぎり、早晩、その文化は失われてしまうことになるのでしょう。これはもしかしたら日本の将来かもしれません。世界のグローバル化が加速度的に進む時代には、ローカルに生きることが非常に難しくなってしまうように思います。でも、「米を食う人間がいれば米は守られる」のなら、米を食っていけばいいのですね。文化を継承するということは、今の時代にはある程度の面倒さが付きまとってしまいますが、それを引き受けることが必要なのでしょう。

著作権保護期間2009/03/30 18:18

なかなか毎日日記を書くのは大変だなぁと、思いつつ、今日の朝日新聞朝刊の全面広告に著作権の保護期間を現在の50年から国際的な70年に延長したいという意見広告がありました。自分としては著作権は尊重してきたつもりですが、著作権の保護期間を延長する必要性はなんなのかなぁと思うところ大ですね。作曲者や作詞家、あるいは演奏家などの著作者が存命中の間は、当然その権利を尊重するというのはわかります。でも死んじゃった後、何十年もその権利を生かしておくというのはいかがなものかと前から思っていました。でも著作権てよくわからないことが多いですよね。たとえば土地でも有価証券でも名義人の死後、相続する場合は相続税がかかりますよね。著作権も相続税とかかかるんだろうなぁ。そうすると税金が払いきれない場合は、著作権の一部を売り払うとかするんだろうけど....どうなんでしょうね。<BR>